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第8回平和構築フォーラム・セミナー議事録

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第8回平和構築フォーラム・セミナー
「NGOの現場から見たパレスチナ紛争−平和構築への道」
2006年12月18日(月)
於:UNハウス(エリザベス・ローズ・ホール)

【発表者】
藤屋リカ氏(日本国際ボランティアセンター(JVC))
シリル・カッパイ(Cyril Cappai)氏(JEN)

【議論のポイント】
●パレスチナ問題は、第二次大戦後も数度にわたって中東戦争という形で表面化した。1987年のインティファーダでは「解放」がキーワードとなったが、2000年のインティファーダでは「絶望」がキーワードとなった。
●イスラエル・パレスチナ両者の生活レベルには圧倒的な差があり、イスラエル−米国関係が密な中で、弱い立場にあるのはパレスチナ人の人達である。弱い人が絶望することなく力をつけ、対等に同じテーブルの上で交渉し、和平を考えていく必要がある。
●このためには、弱い立場の人々に対する草の根レベルでの支援、政治レベルでのアドボカシー/働きかけの双方が必要である。特に、政治レベルと草の根レベルの中間にいる知識人・NGOの交流等、社会を担っていく人達の中での信頼醸成が重要である。
●平和構築は、科学的なものだけではなくアート的な要素も含む。想像力、柔軟性、創造性等は、平和構築のプロセスを作る上で本質的に重要なものである。
●レバノンの安定的な環境をつくりだすには、レバノン政府の能力や信頼性を高めるとともに、復興のあらゆるレベルでの地方政府やコミュニティの参画を促す戦略が必要である。
●ハマスやヒズボラのような強硬派/テロリストが出現するのを防ぐには、市民にもっと選ぶ機会が与えられるよう、草の根レベルでの国際的イニシアティブが極めて重要である。また、計画における柔軟性、個々の状況への適応が平和構築では鍵となる。平和構築にレシピはないので、我々が自分自身で工夫しなければならないのである。


1.藤屋リカ氏(日本国際ボランティアセンター(JVC))

(1)パレスチナ問題の源流

16世紀頃から第一次世界大戦まで、パレスチナ地域はオスマントルコの管理下にあった。第一次世界大戦前頃より、現地アラブ系住民はオスマントルコに対して民族運動を行った。この地域に影響力のあった英国は、アラブ人に対してはアラブの国をつくる、移住し始めてきていたユダヤ人に対してはユダヤの国を作るという約束をするなど、いわゆる三枚舌外交を行った。第一次世界大戦後、パレスチナ地域はイギリスの統治下となった。アラブ人たちもユダヤ人たちも、自分たちの国ができると思っていたが、蓋を開けると違ったものとなった。ナチスによるユダヤ人虐殺もあり、この地域のユダヤ人たちが増加するにつれて、パレスチナ問題は大きな問題へ発展していった。

(2)パレスチナ問題の経緯

イギリスは、できたばかりの国際連合に、この問題を託した。1947年、国連決議181号"パレスチナ分割案"は、アラブ人(パレスチナ人)・ユダヤ人の住むところを分離した。2つの民族が2つの国に分かれて住むという考え方である。困難な問題があるエルサレムについては、国際管理下に置くことにした。イスラエルは独立宣言をしたが、アラブ側は認めず、第一中東戦争が開始した。イスラエルは、戦闘の勝利によって、パレスチナ地域の75%以上の領土を獲得した。

1948年の戦争によって現在イスラエル領となっている地域から追われたパレスチナ人は、国連決議194号による難民であり、帰還権は認められている。しかし、イスラエルはこれを認めず、現在まで実現していない。1967年の第三次中東戦争の結果、イスラエル側はヨルダン川西岸、東エルサレム、ガザ及びシナイ半島(シナイ半島はその後エジプトに返還)、ゴラン高原(国連決議181号におけるパレスチナ地域には含まれていない)を占領した。現在、一般的にパレスチナと呼ばれる地域であるヨルダン川西岸地区・ガザ地区は、イスラエルの占領下にある。自治という名はあるものの、占領という事実は続いている。東エルサレムは、イスラエルの更に難しい問題となっている。

1987年、パレスチナ独立闘争という形でパレスチナ人によるインティファーダが起こった。占領地からの開放運動であり、アラビア語で「跳ね飛ばす」「蹴散らす」というような意味である。1993年、イスラエル・パレスチナ(PLO)がオスロ合意に調印したが、和平に繋がらなかった。様々な原因があるが、大きな問題の一つとして、イスラエルの入植地の問題があった。

2000年9月、第三次インティファーダが起こった。パレスチナ人による闘争のような形で語られるが、ある意味、和平に絶望したパレスチナ人が追いつめられ、こうしたものを生んだといわれる。パレスチナ人の間では、1987年のインティファーダのときは「解放」がキーワードであり、2000年のインティファーダ時は「絶望」がキーワードとなってしまった、ともいわれる。

(3)パレスチナ占領下の現状

次に、この地域の占領下の現状について述べたい。国際法上、占領下の人々の責任は権力者にある。一人あたりの国民所得はパレスチナ1(現在0.5)に対してイスラエル8。乳児死亡率は、パレスチナは22人/1000人に対してイスラエルは6人/1000人である。母親や乳児が病院のサービスが受けられるか否かによって、社会的影響力の大きさが分かる。WHOによれば、一日一人あたり100リットル必要だが、パレスチナ側は水70リットルの取得に対してイスラエル側は水350リットルである。パレスチナは四季があるものの雨は冬にしか降らない。水が大切なところでこのような状態にある。

このように、両者の生活レベルには圧倒的な差がある。また、イスラエル-米国関係は政治的にも密である。こうした中で弱い立場にあるのは、パレスチナ人といわざるをえない。人道支援に関わっているNGOとしては、はたして公平な形で和平が進んでいくかは疑問がある。弱い人が絶望することなく力をつけて、対等に同じテーブルの上で交渉ができ、和平を考えていく必要がある。まだ平和構築などいえる段階ではないが、弱い立場にあるパレスチナ人に寄り添う形でのプロジェクトに、1992年からJVCとして関わってきた。

ガザ地区・ラファについてビデオをみていただいたが、詳しく述べれば、ガザ地区に関しては、2005年夏にイスラエル・ユダヤ人入植者が撤退した。国際法上、占領地において、占領者、すなわちイスラエルがパレスチナに入植地を作ることは禁じられている。歴史上のことやパレスチナに国家が存在したかどうかというような議論はあるが、結局のところ「既成事実の積み重ね」ということで、この入植地がヨルダン川西岸、ガザ地区に存在することになった。この入植地と呼ばれるものはなくなったが、ガザ地区の、海、空、境界線の管理はイスラエルが継続している。カリムには物流検問所があり、ここはイスラエルが検問所の開閉を管理している。130万人のガザ地区の食料・医薬品が運ばれる拠点地域である。ここが閉鎖されてしまうと物資は不足し、またガザからの輸出用の産物は外に出せずに腐ってしまうなど、多大な経済的な損害を被る。このような現状を目の当たりにすると、NGOの立場では、占領状態は続いていると考えざるを得ない。

ヨルダン川西岸に関しては、国際的にイスラエルとパレスチナの境界とみなされている休戦ラインの内側に、パレスチナ人の土地を侵食した形で「壁」をイスラエルが建設中である。イスラエルは9.11以降、テロとの戦いとの文脈でこの壁を語る。目的は「テロ」を防ぐためということである。他方、パレスチナ人は土地を失っている。国際法違反の入植地をイスラエル側に囲むように建設が進んでいる。2004年、ICJは壁の建設は違法と判決し建設をやめるよう勧告を出しているが、建設は進んでいる。一般的には分離壁と呼ばれるが、イスラエル側はセキュリティ・バリア(安全のための防御壁)、パレスチナ側はアパルトヘイト・ウォール(人種隔離の壁)と呼ぶ。どう呼ぶかでその人の立場が分かる。2004年以降(判決以降)も建設は進んでいる。パレスチナ自治区と呼ばれるが、自治区とは一体何なのか。パレスチナ自治政府によって治安・行政ができる地域は、ヨルダン川西岸地区全体の20%くらいしかない。全体の6割以上はイスラエルの管理下にある。パレスチナ人は、ヨルダン川西岸という大きな海に小さな孤島のような形で孤立させられ、島から島へ自由に移動することもできないという状況だと語る。イスラエルの管理する検問所を通らなければ病院へも行けない状況である。ヨルダン川西岸だけで、こうした検問所は約400カ所もある。

一例を挙げると、カランディアと呼ばれるパレスチナ人の街ラマッラーの入り口に、国際ターミナルのような検問所ができている。ヨルダン川西岸地区のユダヤ人入植地は、国際法的には違法とみなされが、プールもある住宅地である。パレスチナ難民キャンプは、水不足に悩まされ、屋根に水を貯めている状態である。

(4)平和構築とパレスチナ

最後に、このような状況下で平和構築の可能性を考えると、弱い立場の人々が力をつけ、決して絶望することのないように、草の根レベルでの支援、政治レベルでのアドボカシー的な働きかけが必要である。信頼醸成はどのレベルでも重要であるが、政治レベルと草の根レベルの中間にいる知識人・NGOの交流等、社会を担っていく人達の中での信頼醸成が重要と考える。

パレスチナでは、この3レベルでの視点からの信頼醸成が必要である。我々はパレスチナで多くのNGOとともに国際NGOという観点から関わっており、国際法に基づいてこの地域の紛争を止めるためのアピールを出している。ガザが人道的に危機的な状況の中で、今年の5月に出したアピールでは、第一に政治的な動向によってパレスチナ住民への支援が滞るべきではないこと、第二にガザ地区への出入りの自由に関する既存の国際的な合意が遵守されるべきことを、各国大使館、国連等を通じてイスラエルにも訴えた。国連OCHAは、これを効果があったと評価した。そのときの支援のあり方として、国際NGOは、公的セクターとしてのパレスチナ自治制度があるので、NGOはそういうものの肩代わりではないという立場をはっきりと示した。

困難な状況にはあるが、イスラエル・パレスチナのNGOの共同による活動もある。一緒に海外に行って問題点を訴えたりもしている。しかし、これらの人々は、どちらでもマイノリティであることは否めない。そのような活動を、JVCとしても支援している。

平和構築を考える段階ではない実情だが、そのような視点でのアプローチを模索し続けることは必要である。人道支援は人々が生きていくために必要だが、それだけではこの問題は解決できない。イスラエル・パレスチナ両方の対立構造の中での話をしたが、イスラエル内での対立、パレスチナ内での対立もある。それらについても様々な要因があり、次の機会に考えていきたい。


2.シリル・カッパイ(Cyril Cappai)氏(JEN)

(1)レバノンと平和構築

本日はレバノンについて述べたい。平和活動に関わる仲間がどのようにお互い協力し、支援活動を実践しようとしているかについて共有したい。レバノンは人口3,874,050人の小さい国である。東京の三分の一程度の国で、新宿くらいかもしれない。この地域は、とても少ない人口にも関らず、宗教的、民族的背景が複雑である。あらゆる人々・あらゆるコミュニティは、この小さな領域で自分たちのプレゼンスを示そうとする。17の宗派がある。59.7%はムスリム(シーア派、スンニ派、ドルーズ派、イスマリテ派、アラウィテ派、ヌサイリ派)、39%はキリスト教(マロナイトカトリック、ギリシャ正教、メルカイトカトリック、アルメニア正教、シリアカトリック、アルメニアカトリック、シリア正教、ローマカトリック、シャルディーン、アシリアン、コプト、プロテスタント)、その他は1.3%である。1941年、レバノンはフランスから独立した。その後、1976-1991年の15年に及ぶ内戦が、国を破壊した。例えば、スンニ派やジハードに対するキリスト教の戦い、ドルーズに対するスンニ派の戦いがあげられる。レバノンは、その後、政治制度の確立・進歩を遂げた。2005年シリアはレバノン占領から撤退した。2006年7月、イスラエルとの戦闘が開始された。

(2)平和構築の原則と国レベル・ローカルレベルのアプローチ

平和構築は、人道的な活動であり、フィールドでの勤務は複雑である。平和構築は科学的なものだけではなくアート的な要素をも含む。すなわち、想像力、柔軟性、創造性等は、平和構築のプロセスを作る上で本質的に重要なものである。定型の平和構築レシピというものは存在しない。我々は決まりきった平和構築の本やレシピには従えない。

草の根レベルで、我々が平和構築にどのように貢献するかを示したい。とても大きな課題である。最初に、我々が南レバノンで何をしてきたかを示したい。当然、平和構築のプロセスでは、国レベルとローカルレベルの統合的なアプローチをとる。国レベルでは、平和創造(停戦のための交渉、停戦合意)、平和維持(国連による停戦監視等)、平和構築(寛容さの復活、教育、国家経済の復活と発展)がある。とりわけ教育は重要である。かつてフランスはドイツに対して残忍に戦闘を行ったが、その反省から、平和構築における教育のプロセス、和解に関して力を注いだ。大変に教育に力を入れたため、我々は過去を忘れ、お互いにそれ以上心配しなくなり、ドイツを脅威とは考えなくなった。しかし、もし私の祖母に話せば、彼女は恐怖を覚えており、「ドイツ人には注意せよ!」というだろう。ただ、われわれの世代では、そのような恐怖は完全に取り去られた。従って、平和構築においては教育がとても重要である。草の根のコミュニティ・レベルでは、リーダシップは地元のNGOがとり、その内容は人道支援、開発、DDR・難民、避難民、小規模経済、女性・子供、和解等、多様な分野に及ぶ。

(3)現地の人道支援ニーズの理解の必要性

JENは、レバノン、特にイスラエルの攻撃で破壊が激しかった南部で活動することを決定した。レバノン南部では、多くのものが破壊され、あらゆる家、ビル、道、電気は破壊されてしまった地域もあった。戦争の被害を回復することが重要である。シェルター提供のニーズは高かったが、他の団体がこの事業を計画していることが判明したため、調整の結果、JENはシェルターを建てる前に必要とされる瓦礫撤去作業用の道具を提供することにした。具体的には、4800のツールキットをレバノン南部の116の村で配布する計画を立てた。ツールキットの内容は、タオル、バケツ、歯磨きブラシ、さらにシャベル、ハンマー、一輪車等である。

(4)人道支援ニーズの変化への対応の必要性

現地のニーズはかなり急速に変化する。シェルターのニーズが高かった当初、国連の調整会議では、多くの国際NGOが住宅再建の計画を表明した。ドナー会合ではたくさんのドナーが(たとえばEC、アメリカ)国連機関に物資・資金の提供を約束した。例えば、ECは1800万ドルを南レバノンのために提供し、米国は4.2億ドルを提供した。また、その他多くのドナーが存在し、緊急復興のケースでは珍しいサウジアラビア、クウェート、カタール等のアラブ諸国やハマスからの支援もあった。これは国際コミュニティの新しい形といえる。このように、多くの国から巨額の援助が届いたので、JENの支援は、それらの援助と同じ地域に重ならないように注意した。つまり、多くの支援を受けることができた地域では活動しないと決め、そうした地域ではプログラムを縮小し撤退する一方、まだ支援の手が届いていない地区へのプロジェクトは続けた。

(5)南レバノンにおけるJENのプロジェクト−ローカルコミッティの創設−

戦争の被害を一掃するためのツールキットの配布や崩壊した家の復興を通じて、JENは村の選挙で選ばれたリーダーたちと協力して、村のローカルコミッティの創設にイニシアティブを発揮した。ローカルコミッティとは何かを考える前に、地元の村の選挙で選ばれたリーダーたちについて考えてみて欲しい。南レバノンの地元の村の選挙で選ばれたリーダー達とは誰だろう。誰が地元の権威か。それはヒズボラだ。しかし、ヒズボラはテロリスト組織として認識されている。最初、我々はテロリスト組織と協働できるのかを考えた。しかし、彼らは地元民によって適正な選挙で選ばれた人たちである。したがって、彼らと一緒に働かざるを得ないという結論に至った。

ローカルコミッティは、当初、ツールキットの貸し出しを管理する委員会として設立してもらった。これは、ヒズボラのようなローカルリーダー達や、農村協会、女性グループ等々の市民社会から構成されている。ローカルコミッティを作ろうとしたのは、本当に支援を必要としている人々に物資を配布したかったからである。我々は一つ一つの家を訪問してツールキットを配布するのでなく、むしろ人々が来て必要なツールキットを借りていくようなシステムを作りたかった。このシステムをヒズボラのリーダーだけでなく市民社会の代表たちとも協力して作ろうとし、そのためには各自治社会、小さな村々の代表が必要であった。ヒズボラ支配地域にいるが、ヒズボラに属さないいわゆる少数派の人びともこの事業を必要としていれば、受益するようにしたかったのである。したがって、我々は不公平な配布を避けるために、このコミッティを作ったともいえる。

このコミッティは、ツールキットの管理委員会として発足したが、こうした仕組みがなかったこともあり、この委員会を他の組織にも活用してもらうことで、コミッティの力を強化することを目指している。このコミッティのイニシアティブは、南レバノンで活動中のUNICEF、UNHCR、UNDP や国際NGOによって大変歓迎されており、今後強化されていくだろう。あらゆる国際アクターがこのローカルコミッティを認識し、回復と復興のために、ともに働くだろう。

外交的観点からいえば、レバノンは現在回復の段階にある。復興は2007年5月から開始するだろう。本当に援助を必要としている市民に渡したいので、ヒズボラだけでなく、市民社会の代表者の参加が不可欠である。そのために、地元のコミッティの力を強化するような何らかの仕組みを作ることが重要である。

(6)ローカルコミッティの役割

コミッティの長期的役割としては、政治的議題なしの市民社会の代表という機能である。これは地元の意思決定プロセスに関わる政治グループのメンバーではない人にとって大切な機会となる。コミッティは変化し続け、メンバーを加え、多様な課題、すなわち回復、各セクターの復興、人権(子供・女性)、開発等を思慮しなければならない。もちろん、最初の段階では国連や国際NGOのような国際アクターは役に立つが、それを継続的に実施するには、地元のコミッティが自分たちで発展し、変化し、復興に自分たちが参加していくことが求められる。

もちろん、ヒズボラのように自分たちで構成できるマジョリティは存在する。ヒズボラは学校、病院も作り、警察、老人たちの世話をしており、極めてよく組織化されている。しかし、国際社会からは子どもや人々を暗殺するテロリスト集団として認識されているグループでもある。それゆえ、彼らを武装解除しなければならず、長い交渉をし、ともに活動しなければならなかった。もし我々が彼らと働かなければ、確実に戦争に戻ってしまうだろう。あくまで仮説だが戦争を避けるためには、民主的な方法に向けて貧困を減らすことが重要である。

(7)レバノンの安定的平和への条件

レバノンの安定的な環境をつくりだすには、レバノン政府の能力や信頼性を高めるとともに、復興のあらゆるレベルでの地方政府やコミュニティの参画を促す戦略が必要である。

第一に国レベルである。資金、調整、復興のマネジメントにおいて中心的役割を果たす政府への支援はこの国の国際的安定を確保するために重要である。第二にローカルレベルである。計画、意思決定、実施プロセスにおいて地方政府の参加の促進が必要である。第三に、その双方のレベルにおいて、国連PKOがミッションを達成するための意思と手段を有し、領土主権に関するイスラエル・レバノン間交渉を促すよう確保することである。
(8)結論

ハマスやヒズボラのような強硬派/テロリストが出現するのを防ぐには、草の根レベルでの国際的イニシアティブが極めて重要である。ヒズボラは合法的に選挙で選ばれているため、彼らに配慮しなければならない。世界中のあちこちで同じようにならないよう、強硬派/テロリストが出現する前に、市民にもっと選ぶ機会が与えられることが肝要である。計画における柔軟性、個々の状況への適応が平和構築では鍵となる。平和構築にレシピはないので、我々が自分自身で工夫しなければならないのである。

【質疑応答】

(1)NGOはどのように地域の人々との信頼を醸成していくのか。イスラエルとパレスチナが対立する中で、どのように活動していくのか。例えば、NGOが援助した側への資金が、意図していないのに対立している側への攻撃を後押し(assistance)してしまったりする難しさはないのか。こうした矛盾を防ぐにはどうすればよいか。テロリストを援助していると誤解されることもあるのではないか。

→そのような状況は、ボスニアやその他の多くの国々で見られた。NGOは、EC、米国、日本のような国々や政府によって資金を提供されることもあり、そうした国々の影響の下で働かなければならないことがある。国連に対しても同様である。そして、これは問題にもなる。もし我々が現地の人々のことを考えなくなれば、NGOとして死と同然であるからだ。したがって、これは大きなジレンマである。いわば、NGOの資金の拠出元である母国の思惑と、現地の人の思いとの板ばさみになることがある。大変難しいが、現地の人々の意向を汲み取らないと失敗する。また、現地のニーズに、真に平和的な目的から適切に応えることが、治安の回復にも役立つ。草の根レベルでの活動は必須だと思う。     

(2)日本と欧米のNGOの違いは何か。欧州においては、国内問題の延長で国際的に援助しているとも聞く。

→一般に、日本のNGOは現場においては端にいる存在だ。欧米のNGOに比べ規模も小さく、まだ20〜30年程度の歴史しかないからである。ヨーロッパでは、ECの人道委員会がNGOを支援してきた。日本では、そのようにNGOを強くサポートするシステムがないように思う。たとえばレバノンでは、ヨーロッパのNGOは、英国NGO、フランスNGO等がお互いに連携している。しかし、レバノンの市民にとって、欧米のNGOだけでなく、困難に直面している人々を助ける日本や中国、その他のアジアのNGOと会うことはとても良いことだと思う。 日本のNGOにとても大きな期待をしているが、今は残念ながらまだ十分セクターとしては発達していない。日本では市民社会にNGOがまだ深く根付いてはいない。一方フランスでは、NGO職員は、職業としてしっかり認識され浸透している。たとえば、日本に入国する際に空港で入国管理官に「職業は何か」と聞かれ「Humanitarian worker」だと答えると、「そうではなく職業は何か」「だからHumanitarian workerだ」というやり取りを経験した。それゆえ、国際的なフィールドで、日本のNGOが主要なセクターとなってもっと活躍して欲しい。そして、多くの日本人とフィールドで出会うことを願っている。

(以上)

*終了後、懇親会が開かれました。