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カトゥリ・メリカリオ(脇阪紀行訳)『平和構築の仕事-フィンランド前大統領アハティサーリとアチェ和平交渉』(明石書店、2007年)

本書は、アチェ和平交渉の舞台を臨場感たっぷりと描いている。和平交渉とはどういうふうに進むのか、またその調停とはどういったものなのか。私たちにはなかなか知ることができない、和平交渉の現場を垣間みることができる。本書を読む前には、アチェの和平を前進させたのには、津波の及ぼした影響が大きいといった印象を抱いていたが、実はインドネシア国内の変革に和平交渉「成功」の鍵が潜んでいるといったことが分かった。本書では、津波とアチェの和平を短絡的につなげるのでなく、和平の機会をとらえた政治指導者たちの動向や第三者のはたらきまで検証することで重層的にアチェ和平交渉を分析している。本書はフィンランドのジャーナリストによって書かれたもので、読み物として面白いだけでなく、学術的にも価値がある。以下では、本書の学術的な側面に着目して評していく。

アハティサーリの調停術は、交渉プロセスの管理を重視する手法で、「どのような調停スタイルが効果的か」といった学術的な論争に、本書は実証例を提供している。さらに、和平交渉が成功するための紛争の成熟度(ripe moment for negotiated settlement)の理論を実証するよい事例にもなる。また、「独立」か「自治」か、という原理的な意見の対立に直面して交渉が行き詰まっていた時に、「自己統治」という独立でもなければ自治でもない言葉を生み出して難局を乗り切る場面などはとても興味深い。交渉が言葉の定義で終わってしまわないためにも、具体的に当事者たちは何を求めていて、何が障害なのかといった点を問い続けていたアハティサーリは、ハーバード流交渉術を用いていることが読み取れた。

ところで、アチェ和平交渉は戦闘者間の和平であって、その交渉過程に市民社会が参画できなかった点で賛否が分かれる。取りあえず和平に合意することが大切なのか、それとも、履行できる和平合意に到達することが大事なのか、でそのアプローチも変わってくる。まさに、本書で問われていた「自分の目標は何かを調停者はどうやってしるべきなのか」という問題に直結する論点だ。調停は、技術さえ習得すれば誰でもできるものなのか、それとも天賦の才能を持った人のみが担うことができる芸術なのか、といった学術論争に資する議論も発見できた。

そもそも、アチェ和平合意はインドネシア国内の法体制を超える、いわゆる「政治的決断」であった。民主的な選挙で国民の代表として選ばれた議員による国会での審議を迂回してしまうことは、合意を実現し、内戦を終結させるには必要であったのかもしれない。だが、平和構築の目標の一つである「法の支配」の確立という観点から、超法規的な政治的決断が今後のインドネシアの民主化にどのような影響を及ぼすのかをしっかりと見極めていく必要がある。法の支配にもとづき民主的で合法的な過程を経た「法的判断」と恣意的な人の支配に陥りかねない「政治的決断」とをどのように天秤にかけるのか、という問題もアチェの和平交渉から浮き彫りになった。

最後に、簡単に批判点をあげるとすれば、本書の邦題が「平和構築の仕事」となっているが、「和平調停の仕事」のほうがより内容に則している(英語版の題名はMaking Peace)。平和構築の仕事をテーマにするのであれば、和平合意達成後の履行過程まで分析対象にすべきであった。和平合意後の知事選の模様や武装解除された元反政府武装ゲリラ兵の社会再統合の問題、人々の和解の状況、石油・ガス資源管理がインドネシア政府とアチェ特別自治州との間でどのようになっているのか、といった平和構築の課題について本書で分析されていれば、アハティサーリによる調停の果実を評価することもできたであろう。ただし、アチェ和平交渉の舞台をタイムリーな段階で提示するのが本書の最大の意義であるとすれば、このような平和構築の仕事が評価可能になるまで待っていては本書の価値も半減してしまったであろう。「平和構築の仕事」についてはぜひ続編で分析してもらいたい。(評者:上杉勇司・広島大学准教授)

草野厚『日本はなぜ地球の裏側まで援助するのか』(朝日新書・83、2007年)

本書は『ODAの正しい見方』(ちくま新書)を記した著者による最新書である。「なぜ日本は国際協力をするのか」という難しい問題に対する著者の考えが、明快かつ分かりやすく書かれている。本書は、政府開発援助(ODA)だけでなく国際平和協力まで視野に入れており、平和構築のみならず国際協力全般に関心を持つ一般や学生にとっての必読書だ。

本書は3部構成になっていて、第1部では日本の国際協力に関する著者の提言がコンパクトにまとめられている。ここを読めば、以降の分析の基礎となる著者の考え方をつかむことができる。第2部ではODAについて、著者がこれまでに主張してきた論点が整理されている。例えば、インフラ整備にあてられる大型ODA案件は途上国の発展に寄与している、円借款は途上国の自助努力を促す手法であり評価できる、といった視点からは、ODAを公正に評価しようとする著者のバランス感覚が伺える。さらに、メディアとの関わりでODAを分析しているが、メディア検証機構の理事長をも務める著者独特のセンスがここでも光っている。くわえて第2部は、日本のODAの複雑な仕組みが理解できる構成となっており、ODAの初学者はこちらから読み進めていくのも良いだろう。

第3部では国際平和協力について記されている。「日本はなぜ地球の裏側まで自衛隊を派遣しなければならないのか」といった疑問に答える部分である。

まず、国連PKOに対する著者の期待が大きいのに驚いた。著者の立場は、多国籍軍への自衛隊の派遣には反対するが、国連PKOへの派遣については積極的に推進するというものだ。だが、現代の国連PKOの多くがアフリカに派遣されているという事実もあり、この提案が日本の政策として受け入れられる可能性は低いのではないか。なぜならば、日本の国益が明確に絡むアジア、中東、シーレーンに関しては、今後も国連PKOよりも米国との協力が日本の政策として重視され続けると思われるからである。くわえて、一般国民にとってもアフリカは遠すぎて日本の国益や自身の生活とのリンクを明確に感じられないだろう(たとえ頭では分かったとしても肌で実感できない)。9.11を経験した米国では破綻国家がテロリストの聖域となるといわれれば、自らの安全保障の問題と不可分な存在としてアフリカ支援を考えるかもしれないが、日本の場合は、その危機感も国民の間で共有されていない。

さらに、国際社会の流れとしても、主要国の国益と密接な関係にあるところは多国籍軍で、戦略的関心の薄いところでは国連PKOで、という役割分担ができつつある。この動きに敏感に反応しているのがカナダで、以前はすべての国連PKOに軍事要員を派遣していた国が、今では海外派遣の軍事要員の大多数はNATOの作戦に参加している。

したがって、日本の国際平和協力の支柱として国連PKOへの自衛隊の派遣が位置づけられていくには大きなハードルがある。もちろん、著者が指摘するとおり、湾岸戦争時の日本の「小切手外交」が正当に評価されなかったのは事実であり、国際平和協力への要員派遣は重要である。しかし、現代の国連PKOでは兵員よりも財源が不足しているという事実に鑑みれば、日本は国連PKOのすべての財源負担をするくらいの政策も、各国から歓迎されるに違いない。さらに、現代の国連PKOでは警察も含め文民の果たす役割が増えているので、このような需要を日本人がもっと満たしていけば、日本らしい国際協力になるであろう。

次に中国へのODA継続の是非に関する点に話を移そう。これは、「日本はなぜ地球の裏側まで援助するのか」という問いとは性格が異なる。「日本はなぜ経済成長を遂げ巨額の軍事費を擁する中国まで援助するのか」といった疑問に答える部分である。 14兆円を超す軍事費を持ち、すでに途上国に対する援助を開始した中国に対して、最近ではODAを継続することに否定的な意見が多い。にもかかわらず、著者は中国に対しては環境分野に特定した援助を継続すべきであると主張する。中国の環境問題は、私たちの生活に直結するので、環境に限定した援助であれば国民の理解が得られやすいことは確かである。ただし、中国は日本の防衛費(1826億円)の100倍近くの軍事費を擁しているのだから、日本の環境保全技術の導入については、中国側にその対価を支払う能力が十分あるように思われる。むしろ、純粋に「ビジネス」として発展させていく方が健全であろう。環境保全を民間主導のビジネスとして、例えば日中共同事業として進めていけないものだろうか。もちろん、中国を国際ルールに則る責任ある国家(responsible stakeholder)としていくことは、非常に重要である。特に、中国の軍事費の増加は隣国日本としては看過することは難しく、東アジアで軍拡がさらに進まないように、中国を説得しなくてはならない。ただし、日本のODA供与を継続することで、それが実現できるのかは疑問である。

本書には多くの傾聴に値する提言が盛り込まれており、以上で批評を試みた2点は、必ずしも本書の主要な論点ではない。とはいえ、「日本はなぜ地球の裏側まで援助するのか」という疑問に対する著者の結論は、専門家からは賛同を集めるであろうが、はたして世論の後押しや政治家の理解を得られるのか、という点が疑問である。専門家の認識と一般国民の感じ方とのギャップをいかに埋めていくのかが、この分野の大きな課題であろう。(評者:上杉勇司・広島大学准教授)

大芝亮・藤原帰一・山田哲也編『平和政策』(有斐閣、2006年)

戦後日本では、反体制側による平和運動があり、体制側による安全保障政策があった。一方は「将来の戦争」への日本の関与を阻止するために憲法9条を固持してきた、他方は「将来の戦争」を抑止するために日米同盟を堅持した。しかし、いずれの側もアフガニスタン、イラク、ソマリア、ユーゴスラビアなど世界各地で頻発した民族紛争、地域紛争などの「現代の戦争」に対する十分な処方箋を示すことができなかった。いや、関心さえも示してこなかった。

本書では,このような反省に基づき、運動としての平和でもなく、政策としての安全保障でもない、政策としての平和を追求する立場で書かれている。すなわち、「現代の戦争」に対応するために「運動としての平和」からも「政策としての安全保障」からも取り残されてきた領域を議論することで、現代の紛争である内戦や地域紛争を前に、どのような平和構築が可能なのかといった政策論を展開するところに本書の意義がある。

本書は3部構成になっている。第一部では国際紛争をどうとらえるかが論じられ、第二部では現代国際紛争の実態が説明される。そして第三部では平和構築の実際として、軍事介入、政治・法制度改革・選挙支援、国際犯罪、開発協力、ジェンダー、NGOといった切口から平和構築に係る論点を議論している。(評者:上杉勇司・広島大学助教授)

国際安全保障学会編『国際安全保障―国連改革と国際安全保障』(第34巻第2号、2006年9月)

イラク戦争に接し国連無用論が吹き荒れる中で、国連改革に向けて尽力された前国連代表部大使の北岡伸一・東京大学教授による巻頭言に始まる本特集は、ブッシュ政権下で国家安全保障会議の東アジア上級部長を務めたマイク・グリーン・ジョージタウン大助教授による日本の国連安全保障理事会入りについての論文、村田晃嗣・同志社大学教授によるブッシュ政権の国連政策に関する論文を所収している。

さらに、本特集では平和構築の現場に国連職員として関与されてきた中満泉・一橋大学教授による「平和構築と国連改革ー有効な戦略の確立に向けて」と題する論文が、平和構築フォーラムの主要な関心テーマを論じている。ここで中満氏は、国際社会が現場での経験の中から積み重ねてきた平和構築戦略の発展を振り返り、有効な平和構築戦略と支える国連改革を考察している。

また、書評において篠田英朗・広島大学平和研究センター助教授が、防衛研究所の山下光教官のHumanitarian Space and International Politics: The Creation of Safe Areas(『人道スペースと国際政治:安全地帯の創造』)を評している。(評者:上杉勇司・広島大学助教授)

日本平和学会編『平和研究ーグローバル化と社会的「弱者」』(第31号、2006年10月)

「欠乏からの自由」と「恐怖からの自由」が人間の安全保障を議論する際の二つのキーワードであった。本特集では、恐怖と欠乏からの自由という視点から「弱者」の保護について実証的に検討している。これまで十分な保護を受けてこなかった国内避難民や女性、子ども、外国人といった社会的弱者の保護に関する議論が展開されている。さらに、武力紛争下の文民の保護に関するこれまでの議論を振り返り、「保護する責任」の視点から「弱者」の保護について論じたものや国連安全保障理事会の質的な変化に着目した論文が所収されている。

運動としての平和ではなく、政策としての平和を真摯に追求しているところに本特集の特徴が見いだせる。現代の戦争の被害者である「弱者」が現実の紛争の中でどのような境遇におかれているのか、そして「弱者」を保護するためにどのような政策が有効なのかを考える視座を本特集では提供している。平和構築の過程で「弱者」をどのように保護していくのかといった問いに加えて、「弱者」を生み出さないような社会を創りあげるためには、どのような平和構築政策が必要なのかを考える一助となる。

また、書評において佐渡紀子・広島修道大学助教授が、篠田英朗・上杉勇司編『紛争と人間の安全保障ー新しい平和構築のアプローチを求めて』を評している。(評者:上杉勇司・広島大学助教授)

功刀達朗・毛利勝彦編著『国際NGOが世界を変えるー地球市民社会の黎明』(東信堂、2006年)

市民社会は「選挙」という国民の信託という洗礼を受けていない。そのような市民社会が世界を変えてしまうことの問題点を考えさせられた。

国際NGOという外部の組織が、途上国や紛争後の国・地域に市民社会という印籠を持って介入することで現地社会に及ぼす影響を、どのように受け止めたら良いのだろうか。

「地球市民社会」や「国際標準」といった概念が、その国際NGOによる介入に正統性を与えているのか。国際NGOが現地社会に持ち込もうとしているものは、本当に「地球」市民社会や「国際」標準なのだろうか。それらは欧米基準とどう違うのか。

市民社会という都市で成熟した概念を、途上国や紛争後の国・地域でよく見られる農村部でどのように応用していくのか。個が重視される市民社会と集団が重視される村民社会はどのように折り合いをつけていくのか。

本書では、このような問題を考える際に糧となる多様な概念やアプローチが紹介されている。と同時に、ジャパン・プラットフォーム(大西健丞氏)、アムネスティ(寺中誠氏)、オックスファム(重田康博氏)、ワールド・ビジョン(片山信彦氏)などの実務家たちが、自らの活動を通じて経験してきた問題を提示している。

本書は、日本における国際NGOについての理論・実践の最前線の執筆陣による本格的な入門書である。残念なところは、非欧米的なアプローチの位置づけが不鮮明である点と、介入される現地社会の視点から見た国際NGOの正統性と役割りについての評価が不十分であった点だ。しかし、本書で提示された枠組みや論点は、平和構築の問題を考えるうえでも非常に関連深いものばかりである。(評者:上杉勇司・広島大学助教授)